おはようございます。

福田あかりです。

今年度、ある小学校に行きました。

職員室で先生と打合せをしていると、高学年の子がふら~っと来て先生に話しかけました。

私が声をかけると、「あ、ブレインジムの人だ」と言いました。

「覚えているんだね」と言うと、「ブレインジム、またやるの~、めんどうくさーい。」と言いました。

「めんどうくさいか~」と、彼の自由な言動に、ぶっとび感を感じていました。

怒りは感じず、学校という中にあってこれだけ縛られない彼の自由さを尊く思いました。

現世の社会的枠組みの中では、おそらく自閉スペクトラム症といわれるタイプの人でしょう。

そして、給食の時間になりました。

私は仕事を終えて玄関を出ると、彼が駐車場付近でぼーっと立っている姿が見えました。

 

靴を履いて、歩いてちかづき、話しかけると、少しずつ話してくれました。

宿泊学習はどうだった?と聞くと、「強制連行」

( ´∀` )たしかに!(ウケる)

家に帰りたい?

「うん」

家で何するの?

「YouTube」

何見るの?

「ゲーム実況」

自分ではあげないの?

「?!(ありえないでしょという反応) 面倒くさい。」

朝ごはん食べた?

「うううん。ココアだけ。自分で作った。」

じゃあもうお腹すくでしょう?

「うううん。でも、給食当番なんだ。」

給食当番なんだね。・・・じゃあ、行くか!

いってらっしゃーい。

「・・・」

踵を返して、しかし、30mほどの通路をとろーとろーとした足取りで、左右に揺れながらあゆみ始めました。

これは、振り返るなーと思って、私はたたずんで見守っていました。

通路の半ばに来たところで彼は立ちじっと止まって、ためらいながらこちらを振りかえりました。

私が、バイバイの手をかざしていると、彼は顔を隠すようにうつむいて、再び踵を返し、今度は両手をペンギンのようにパタパタしながらゆっくり歩きだしました。

私は元来、せっかちなのでその場で見守ることは得意ではないのですが、彼が見えなくなるまで手をかざして見守っていました。

彼が右折したときに彼は再度、振り返りました。

そしてゆっくりドアの奥に消えました。

 

私は何をしたわけでもありませんが、ちょっとした彼の応援者になれたようで嬉しく思いました。

「見守る」という消極的に見える佇まいが、どんなに心強いか、私は体験して知っています。

 

思い出すのです。

このような場面で、ずっと子どもの後ろ姿を見守る先生の姿を。

私はそこに感動しました。

私は、なんの意味もなさないような、この「何もしない時間」を愛おしく思うのです。

その時間は、彼・彼女が幸せであってくれるように思う祈りなのです。

 

そして、その先生が私が振り返ったときにもいてくれたことに、驚きました。

私が気づかぬ時もそうしてくれていたのではと思い、その瞬間にあふれる愛をもらったように感じました。

人と人の間に、こんなふうに愛が満たされているなら、自分自身をけなす人はいなくなるでしょう。

振り返ったときに、自分のために祈る人がいたら、何かをしてくれるよりも、どんなに心強いでしょう。

ラーニング・シー

福田あかり

 

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