なぜ幼児期に発達検査や知能検査をするのか?
おはようございます。
ラーニング・シーの福田あかりです。
夏真っ盛りとなってきました。
幼児期の療育に関わっていると、お子さんの発達の伸びについて保護者と理解を共有するために、発達検査や知能検査は欠かせないと実感します。
これは、
小学校に入学してから困るお子さん
学習の遅れ
友達関係を築けないこと
失敗経験の積み重ね
自信の喪失
そして、
できないお子さんに叱ってしまう保護者さん
親子関係の亀裂
こうしたことを防ぎ、
お子さんそれぞれの発達特性、個性、発達の伸びを保護者と応援者が共有して理解を深め、
それぞれのお子さんの成長に気が付き祝い合うことができる土台をもつこと。
それぞれのお子さんに合わせた学習環境を整えること。
お子さんが達成経験を積み重ねること。
(成功体験という言葉が一般的だが、何を持って成功というのか?「達成経験」という言葉の方が、私はしっくりきます。)
お子さんが達成するように、どんな手伝いができるか、保護者や応援者が知っていて、それを実行できること。
保護者が子育てに手ごたえを感じ、
応援者が療育・教育に手ごたえを感じながらできること。
それが、発達検査や知能検査をする目的なのです。
先日、ある指導主事と話をして、検査もできますと水を向けたら、それより、保護者とつながってほしいと言われてがっかりしました。
小学校に入ってからでも検査はできると。
なるほど。確かにそうです。
もちろんそのとおりで、保護者とつながることに取り組んでいます。
療育や個別相談につながればそれで御の字、ということのようです。
ただ、毎日転んであざだらけになって、その姿を周囲にさらすこと、その子が伸びる機会を後回しにすることはどうなのでしょうか。
保護者の理解のスピードに合わせて取り組むことですが
もっと前倒しで、より発達のスピードが速い時期に取り組めば、良い結果がでます。
丁寧に子どもたちを見てくださっていることは伝わってきて、嬉しく思いましたが、
今のやり方がベスト、そのやり方を守りたいという口ぶりにがっかりしました。
自分の考えの枠組みに縛られていることに気づかず、それに従うことを周囲にも求めることを当然とする教育文化が、新しく自由な枠組みに塗り替えられていくことを願っています。
ラーニング・シー
福田あかり