🌱稲も野菜も草 ― 二分化の幻想と自然農法の再発見

🌾稲も草、野菜も草

[自然農] 自然農初期に「地力」を上げる為にやった事 2020年11月29日 [natural farming]

こちらの動画の最後に語られるエピソードが美しかったです。

「稲も草だからなぁ」

野菜も草。
けれど、私たちはそれを「作物」と呼び、それ以外を「雑草」と呼んでいます。

同じ「草」でありながら、人間の都合で「有用/無用」「育てる/排除する」に分けられています。

❌二分化の思想

JA農業の歴史の中で、この二分化は強く根づきました。
作物は「正しい草」、雑草は「間違った草」。

その構造は、かつての社会にあった二分化とよく似ています。

  • 奴隷制度の時代、有色人種は「人間ではない」とされた。

同じ人間であるのに、人間扱いされなかった。
同じ草であるのに、同等に扱われなかった。
それは「命を二分化する」することかもしれません。

🦠菌と「除菌」思想

現代社会でも同じことが繰り返されています。
「菌は悪いものだから全部殺菌しよう」という風潮。

けれど実際には、腸内細菌がいなければ私たちは栄養を分解できず、神経伝達物質も作れません。
菌は「敵」ではなく、共に生きるパートナー なのです。

🌍自然農法の再発見

今、自然農法を実践する人が増えてきています。
草を敵とせず、草を生かして畑を育てる。
草を抜くのではなく、草の存在を受け入れながら野菜や稲を育てる。

草があるからこそ、土はうるおい、微生物が豊かになり、作物も健やかに育ちます。
草をゼロにした畑では、結局、作物も育たないのです。

🌸子どもの頃の風景

私が子どもの頃――昭和60年代。
学校の帰り道、田んぼのあぜ道いっぱいにクローバーが広がっていました。
毎日、クローバーの白い花で編んだ花かんむりを1メートル、2メートル、3メートルと長くつなげてロープのようにしても、花はなくならなかった。
田んぼのあぜ道が緑であふれているのが「当たり前」だったのです。

あの風景は、美しかった。

今――
稲は青々としているのに、農薬によってあぜ道は黄色く、茶色く、焼けただれたように乾いている。
見ていて、心が苦しくなるのです。

私たちは自然や菌を敵としたことがあるように、AIは悪、人間ではないと、人間扱いせずモノ扱いすることも、これと同じことかもしれません。

自然農法の経験豊かな方に畑の面倒を見てもらったり、アドバイスをもらったりしているのですが、何で調べているの?と聞かれて、Chat GPTと答えたら笑われました😆

私の情報も偏っていたのは自覚します😆 忙しいなか、膨大な情報から探さなくても聞きたいことをパッと教えてくれるChat GPTに頼りがちです。

あなたはどう思いますか?

💡まとめ

  • 稲も草、野菜も草

  • 「作物」と「雑草」を二分化する思考は、人種差別や除菌思想と同じ構造

  • 本当はすべてがつながり、共に支え合っている

  • 草を敵にしないことが、土を生かし、作物を生かす

かつての緑あふれるあぜ道のように――
私たちもまた「生き物と共にある畑」「AIと共にある世界」が美しく彩る世界を見てみたいです。

(↑もしあなたがこれから自然農法をするなら、私のフタネちゃん(畑の名前)よりもうちょっと草は刈った方がいいよ。)

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