空きをつくること、暇人と引きこもり
時間を有効に使うためには、
効率良い綿密なスケジュールを立てるよりも
空きをつくることで、柔軟に対応できるようになり、稼働率を上げ、収益が高まるという。
この木曜日の英雄の選択というNHK番組では、徳川宗春が取り上げられていました。
徳川宗春の話を聞いても同じことを思います。
彼は家督世襲の順位が20番目だったにもかかわらず、尾張徳川家7代藩主となった。
徹底した緊縮政策をした徳川吉宗とは真逆の政策をしました。
宗春は、武士がお金を使って全体のお金のめぐりを活発にして、みんなが豊かになる政策を実行しました。
先進的な取り組みです。
なぜこうした思想が生まれたか?
彼は、世襲なんて考える必要のない身分で、帝王学をしっかり教え込まれることなく、しかし、豊かさを持ちながら暇で自由な時間を持って、あちこち出歩いて学び成人していった。
町人など様々な人と関わったといいます。
これがベストだと綿密なプランニングをされ、誰かの意図でやらされる学びよりも、本人の意思で学びに行くことがどんなに有効か、と思ります。
中国には、暇人という人が3億人くらいいるといいます。
暇人がいるから、政治体制への不満が爆発せず維持されているという話を聞きます。
暇人さんたちは毎日、将棋やなんかをしてゆったり過ごします。
お金があるわけではないけれど、なくて怒ることはないのです。
お金がなくても好きなことをして過ごせているわけです。
周りの人もそれを許しているわけです(そうでないことも部分的にあるかもしれない)。
それでいいんだと思います。
引きこもりっていてもいいと思うんです。
彼が本当に不幸せなのでしょうか?
彼の周りの人が心配しているのです。
何もしてないわけじゃなくて、なんらかネットで情報を収集して生きています。
その次元で世の中に影響を及ぼしています。
そのなかで、何か見つけて仕事を始めることもあります。
私も大学生の時は外に出たくなかった時期もあります。
でも、飽きるし何かやりたくなるんですよね。
もしそれじゃダメだと追い詰められていたら長引くかもしれません。
内的な活動は見えませんが、何かが進化してると思います。
それにそういう数年の猶予や、人によっては十数年間、それ以上のゆったり感、あってもいいと思います。
だって、儲けることが得意な人がいるわけだから、その対極にある設けることが苦手な人がいて当然です。
いえ、むしろ引きこもりさんは経済的消費は一般的な人よりずっと少ないでしょう。
エコな生活かもしれません。
そして、儲けることが得意な人の対極は、実は使うことが得意な人のだと考えます。
だから引きこもりさんをそんなに躍起になって外に出そうとか、社会的に自立しないといけないって、思わなくてもいいのかなと。
だってそういう人は何もかも手に入らなくても、ゆったり自分の時間で過ごせればそれで幸せなんです。
多くを求めてはいないのです。
暇人が何万人、何十万人いても、いいよ、って言えるくらいの社会的余裕があったら、それって安心です。
そうしたら仕事を辞めても、精神的に追い込まれないですよね。
そういう寛容さが、逆に、不登校や引きこもりをつくらない社会、文化ではないでしょうか。
ソーシャル・インクルーシブって、そういうことじゃないかなぁとも思うのです。
みんなかつかつ働く社会って、本当に豊かだろうか?
好きなことをしてお金をもらえて、それが当たり前の社会なら。
たくさんもらって裕福だと幸せなんじゃなくて、必要な分、楽しめる分で、余分にたくさんなくてもいいのよ、って安心感があります。
「とられる」と思うから、余分に持とうとするんですから。
おしゃれしたい、いい車持ちたい、それでたくさん稼ぎたい、それもいいんです。
たくさん稼ごうとすると、時間がなくなるから、それよりマイペースに過ごしたい、と思う人がいていい、と同じに、たくさん欲しいものがあってたくさん稼ぐ人がいていいんです。
同じだと思うんです。
そんなふうにゆるく生きたらいいんじゃないかなぁ…って思うんですよね。
この考えも変わるかもしれませんが
引きこもりは、そんなに批判されなくてもいいかな、って。
社会的な余裕、豊かさという見方もあるのかなぁ、なんて思うのです。